天売島訪問編の続き。

天売島は雨が降っていた。旅館の大一さんに天売の見どころを聞いてみたが、この時期は自分で見つけるしかないと言われてしまった。自転車と傘を借りて探索へと向かう。

雨上がりのアスファルトは爽やかな潮風に吹かれて緩やかな雨の波を作っていた。島の東側の通りには旅館が立ち並ぶ。





厳島神社は現状島で唯一の神社であり、社殿の彫刻や手入れの入念さは焼尻島のそれを上回る。







かつては漁村として大いに栄えた天売島であったが現在では300人ほどに人口が減ってしまっている。そのため島内の随所に廃屋が見られ、島の東側にあったこの番屋群も寂れてしまっている。半分ほどは現役であるようだが奥に行くにつれて荒廃の度が増していく。





記念碑や参道に並ぶ墓らしき像について気になったので門を叩いてみたのだが生憎誰も出てこなかった。この島に住職はいないのだろうか。ひょっとすると昨日焼尻島にお坊さんが来ていたように羽幌から呼び寄せているのだろうか。本堂の脇の家屋には人の気配はなかった。




前浜漁港は静まり返っていて人の姿は全くなかった。ウニの養殖の網や陸揚げされた小型の漁船が哀愁を誘う。鴎は私の姿を認めると陸から離された防波堤の上へ飛び立っていった。

天売島にも焼尻島と同じく個人商店が二つあって奥に見えるのが三浦商店だ。川口商店の品ぞろえは焼尻の両商店より遥かによく、キャンプ場もないのに冷凍のホルモンや焼き肉のたれなどが置いてある。私はここでポカリスエットを購入した。

小さい島ながら歴史は古く、その前身は明治17年まで遡ることができ、公式の開校年度は明治25年というから驚きだ。例によって小学校と中学校が一緒になっている。



町を抜けると急に晴れ間が広がり、草いきれが道路上に充満していた。しかし内陸のそれとは異なり、その蒸気は発生したと同時に潮風に流されてしまう。残暑は思いの外強かったが、眼前に広がる涯無き日本海はどこか朝鮮や沿海州の空気を含んでいるようで涼しさを感じさせた。




これから丘の上へ登ろうというところには駐車場があって雄大な眺望が広がる。傘は既に無用の長物と化していたが水平線近くにはどうやら雨の煙が立っているようだ。



坂はとてもきつく先ほどまで気配のなかった汗が突如噴き出す。そして海から離れたこともあってか風も弱まってしまった。焼尻で借りた自転車よりも漕ぎ心地はよかったが、焼尻の倍以上ある標高へ挑む坂は伊達ではなかった。仕方なしに細かく九十九折れを作りながら登っていく。



坂を登りきると赤岩展望台に着く。この先にはもう陸地はないのだ。これまで感じていた陸地への安心感は途切れてしまった。











これ程開けているところが嘗てあっただろうか。日本海は陸地側で透き通っているかと思えばすぐにその紺碧を深くして得体の知れない深淵を覗かせている。私は暫く立ち尽くして平衡感覚を失いそうになりながらも必死にその光景を目に焼き付けようとしていた。晩夏の生命の少なさが不気味さを際立てていた。海鳥は全くおらず、蝶や雀が人目を忍んで隠れている。








千鳥ヶ浦園地を過ぎた辺りから雲行きが怪しくなってきた。昨日知り合った大学生によると近くに雨雲が近づいてきているらしい。


雨がひどく降ってきたがそのお陰でとても涼しくなった。海の方を見てみると晴れているので直ぐに止むだろう。気持ちのよい雨である。


天売島の北側は南側とは打って変わってとても険しく人を寄せ付けない堅牢さがある。100mはあろうかという断崖が襞を作りつつ続いていくのだ。
お腹が空いたので貰ったおにぎりを食べたのだが、ここでは20代後半の商社マンや弁護士と仲良くなった。ビールを飲みながら島内を散策する素敵な方たちである。海外旅行の経験も豊富で、商社マンの方は今度メキシコに移住するらしい。辺鄙な島は似たような性向を持つ人が集まるらしい。




天売島灯台に着く頃には天気は全く回復していて濡れた葉に照る太陽が美しかった。周りに遮るものがないのでアメリカの大平原を思わせる。





既に強い日差しが戻っていて先程まで雨が降っていたことを忘れさせてくれる。



私はなにも飲まなかったが離島の割りには小洒落ていて飲み物も美味しそうである。夏季には網焼きの店も出るらしいが今はもうない。隣にはキャンプ場とゲートボール場が併設されている。(キャンプ場は泥濘んでいた)
