島内探索編の続き。

旅館に戻ると既に夕御飯の用意ができていた。まだ5時過ぎであったが背後にそびえる丘に遮られて集落は半ば夜に入りかけていた。自転車を旅館の前の駐車場に停めると女将さんにこれから人が来るからあとで移動してくれと頼まれた。一体この小さな離島へ車と共に観光へ来る人などいるのだろうか。

女将さんとは初対面の時よりは打ち解けて世間話なども少しした。1日前にも私と同じく札幌からひとり旅で来た人がいたらしく、是非ともその彼と会ってみたかったものである。ちなみに今夜は天売に泊まるそう。
やはり私の性格としてお年寄りの方といると心が落ち着く。あの急ぐことを放棄した空気が夕食を美味しくするのだ。今日の夕飯はまぐろの刺身、メバルか何かの煮付け、ほたてのバター焼き、海老フライ、もずく、ポテトサラダ、もずくの味噌汁、白米であった。まぐろは焼尻の漁師から貰ったものらしい。海老フライは何故かかなり美味しかった。小学生の頃のようにお茶をお酒代わりに飲み、相撲を見ながらまだ明るい窓に蛍光灯を点けてご飯を食べてみた。いざ座ってみるとお腹は空いているのに疲れが押し寄せて箸が進まない。幼少期、アルコールも飲まないのに1時間以上かけてご飯を食べていたのだが、ここで俄にその状態が出現した。懐かしくもあり可笑しくもある。
やはりこの旅に感じることは極端な郷愁である。畳の上に座ってご飯を食べることも随分少なくなった。
ご飯を食べ終わった後はお腹こそ一杯で肉体的疲労は溜まっていたものの眠くはなく風呂上がりには部屋を暗くして暫くテレビを見ていた。旅先で見るテレビほど現実離れしたものはない。旅という現実に対してあまりに幻想めいたことがそこでは繰り広げられている。
そんな幻想がいよいよ現実になろうとしていた頃、雨が降ってきた。離島の雨、更に言えば海上に降る雨などというのは内陸育ちの私からするとどうにも不思議な感じがする。雨音は島を包み込むノイズとなって私を眠りへと誘った。

翌朝は全くの静寂であった。決して寝心地のよい布団というわけではなかったが野宿には比べるべくもない。足の痛みはすっかり癒え、酷使に耐えられる状態となっていた。
起きてから暫く微睡みの中にいると女将さんが起こしに来た。流石に一夜を同じ屋根のもとで過ごすと互いに打ち解けるようで、そのぶっきらぼうさもどこか親愛の情を感じられるものとなっていた。

朝食は目玉焼き、ほっけの塩焼き、ほうれん草のお浸し、シラスときゅうり、漬け物2種、もずくの味噌汁、白米であった。結局もう一組の客というのは来なかったようである。お茶の葉が変えられていなかったのが少し残念ではあったが朝食も美味しく頂けた。

宿泊料金は6000円であったように記憶している。帰り際には昼食といっておにぎり2つとトマト、それから何故か缶詰の水羊羹を渡してくれた。またいずれ訪れたいものである。

小田民宿は女将さん一人でやっていて未亡人らしいのでこちらのお店との関係性はよく分からない。朝から開いていたのでお茶を買う。やはりここの店番の老人もぶっきらぼうだ。この島の人はある程度仲良くならねば接客業とは言え愛想よくして貰えないらしい。

最後に見晴らしのよかった工兵街道の碑のある岬へ来てみた。心なしか今日の海は昨日の海より青い。東を見やると船が入港しようとしていた。


昨日出会った酪農学園の学生さんとも合流して船に乗り込んだ。昨日の反省を活かして甲板に立つことなくすぐさま船室で横になった。船は短い碇泊時間の後すぐさま日本海へ進み出した。昨日のトラウマで私は恐怖に戦いていたのだが思いの外揺れは少ない。距離も短かったこともあって酔わずに天売島まで来ることができた。


港には宿の方に迎えに来ていただいていたので写真を撮る間もなく車に乗り、港の見える丘の上に立つ島の宿大一へと向かった。車を運転して頂いたのはこの宿の管理人らしい大一さんであった。
天売の旅は続く
「焼尻島の旅(宿泊編)+天売島の旅(天売島訪問編)」への1件のフィードバック