昨年、盛岡から石巻経由で山寺へ行く旅をした。始発の東北線に乗って向かうは塩竃。ここで仙石東北ラインHB-E210系気動車に乗りかえる。

これかをその車両。仙石線に入ってからも震災後に新しく架け替えられた高架などを進んでゆく。(野蒜駅周辺など)石巻ではすぐに折り返して、仙台、そして山寺へ向かった。車内で撮影をしたかったが車内から人が引けることはなく、写真を撮ることもできなかった。

しばらくして着いたのが山寺駅。途中僅かに残雪もあったように思うが麗らかな春の陽気を浴びて寧ろ暑いくらいであった。ここでは一時間ほどあったので山寺の奥の院まで行ってみようと思う。


このように石仏がある中をひたすら登ってゆく。針葉樹の直線的な影がいびつな形の岩岩に投影されて良いコントラストとなっている。雪が溶けたばかりで地面には苔が多少生すのみで下草も少ない。青草も萌えたばかりで茶の山肌に点々としている。


頂上に着くとこのような絶景が待っている。殆ど走って登ってきたため息が切れていて息を呑むようなことはなかったが面白山の方まで見渡せるパノラマは特筆すべきものがある。松尾芭蕉の言うような閑けさではないが明らかに地上とは違う長閑さがある。私たちの他には支援学校の遠足できたと思われる生徒二人と先生のみで、時折上がる歓声など非常に微笑ましいものだ。

先程立っていた場所を見渡すとこのような感じ。

二つ上の写真は上の写真の通路のちょうど見えなくなるところで撮ったものである。




修行僧が掘ったと思われる窟が奥の院の辺りにはそこかしこにあり(下の方にもあると思うが)その摩訶不思議な造形は観光客を飽きさせない。

これは三重の塔である。これを見て誰が三重の塔だと思うだろうか。奈良の薬師寺の三重の塔も裳階がついていて五重塔にしか見えなかったがこちらも建物が岩にめり込んでいてよく分からない。

そしてこれがかの有名な五大堂、開山堂である。工事をしているのが少々残念だが致し方あるまい。

開山堂の中から盆地を臨むとこのように見える。

開山堂の辺りから振り返ってみると曲がりくねった石畳の道が見える。

開山堂へ行くときはこのような鎖場も経由しなければならない。足の悪い人への配慮が全く欠けていてバリアフリーなどという概念はどこへも見られない。抑も簡単に登れるようでは山上に伽藍を設置した意味がないのかも知れないが。とは言え車やロープウエーで登れるようになってしまっては台無しであるので是非ともこのまま残っていただきたい。


人に見せられるような写真ではないが仁王門。下から見た場合の景観が非常に優れている。一眼レフが欲しくなってくるものだ。

駅前へ戻ってきた。山寺はどこをとっても良い景観が広がっている。下から撮った写真や松尾芭蕉の写真もあったのだが家族が映っていたため公開できなかった。申し訳なく思う。
列車は少々遅れて到着。国見駅を目指して仙台方面へ戻る。


面白山信号場(だったと思う)ではこのように列車交換を行った。E721系電車である。奥新川から作並までの間や愛子以降は広瀬川の渓谷沿いに走るため車窓が優れているので是非乗ってみていただきたい。特に作並から山寺までは仙台近郊とは思えない山岳路線で鉄橋やトンネルを駆使した路線が見られるので全く飽きることがない。


国見の駅で下車。ここでも交換があった。ここからは大崎八幡宮を目指す。国見駅から坂を下りて暫く進むと鳥居が見える。ちょうど東北大学の辺りだ。

参道を暫く進むと本殿が見えてくる。



これが国宝の大崎八幡宮。宝物殿などあるかと思ったがそのようなものはなく装飾に優れた本殿と社務所があるくらいだった。

大崎八幡宮から仙台駅まで向かう途中蒸気機関車が保存されていた。車内は満車で身動きがとれない。百万都市、仙台の本領発揮と見えた。

仙台駅から少し歩いて榴岡八幡宮を目指す。梅の花が綺麗だと言うことで向かったのだった。

本殿の周りに咲く梅。


画質が良くないことは甚だ悔やむべきだ。辺り一面には梅の香りが漂い、かつて桜よりも梅を愛したという貴族の趣向の気高さの断片を理解したように思った。寝室に漂う梅の香のその馥郁たるや、春の短い夜の楽しみとなること間違いがない。

梅の枝というものは幾何学的な造形で作為をどこか感じさせるものだ。 榴ヶ岡からは仙石線に乗る。駅員のミスでわが18切符で誤って捺印をされてしまい、その対処で電車を逃してしまった。暇だったので多賀城まで乗り、そこで乗り換えて西塩釜まで向かった。

石ノ森章太郎に因んだ仮面ライダーラッピング車両。石巻への主力輸送を奪われつつも松島までの地域輸送に徹している205系である。東北地方唯一の直流電化路線であり車両コストも高いのだそう。 塩竃に着いたものの予定に組んでいた塩竃八幡宮には行けず、塩釜駅近くのラーメン屋(香麺という名前でした、次郎系だけれど食べやすく美味しかった)で重い夕食を摂り(ニンニク入れたかった)盛岡へ戻った。