天売島の旅(島内探索編)

 島内一周編の続き。

入道雲は遠くへ去っていった
道端の猫
睨まれた

 昼下がりの焼尻島は船の発着もなく非常に長閑である。猫も人を恐れることなく道を横切っていった。

港の裏の路地
港にいた猫
コスモス
潮風を浴びて錆びつく街並み
猫は一定の距離を置いて私を見てくる
漁港の様子

 漁港の裏通りは砂利道で野草が咲き乱れていた。人の気配はなかったが猫がうろついている。奥の方では一家総出で水揚げを行っていた。真っ黒に焼けた子供たちの華奢な体はいずれ漁師になるべき遺伝子を感じさせる。漁船から波止場へ乗り移る身のこなしは軽やかで魚の入ったかごを降ろす手つきも慣れている。彼らは漁師にはならないかもしれないがかけがえのない個性となってその血が継承されていくのだろう。今はただこの伸びやかな環境で心ゆくまで遊んでほしい。

老人たちが荷揚げをしている
午睡を食む時間
夕食の支度をしている頃合いだろう
美味しい刺身が食べたい
オオセグロカモメ
漁港全景
奥の山陰のようなものは何だろう
浅瀬にはワカメが生えている
焼尻島方面。ここから入港してくる。
天売島灯台へ行く道はどうやらないようだ
かつてはここにも漁船が並んだのだろうか

 午後の漁港は太陽の動きも遅らせてしまいそうなほど長閑であった。

島で唯一の高校、羽幌町立北海道天売高校
目の前はすぐに海
友定君
オープンスクールは廻り甲斐がなさそう

 天売高校は天売、焼尻両島の子供だけでなく、全国から入学者を募っているらしい。私もここで学んでみたかったなと思わないでもない。天売に来て今在籍している大学に入れたかは疑問だが受験などに囚われない高校生活もあったのだなと思うと今まで自分が見てきた世界の狭隘さが身に染みて感じられる。

多分セキレイ
寺の境内に落ちていた硝子

 寺の近くに天売の山への登り口があるということだったが道は実際に本堂まで辿り着くと直角に折れて山の上へと伸びていくようだった。初め寺に来た時には気づかなかったので神隠しに遭っているかのような気分であった。

コンクリート舗装の登りはきつい
すぐに杉林となる
少し開けた
墓地
火葬場

 寺の後ろに火葬場と墓地があるというのは島のデフォルトらしい。人生のすべてがこの狭い土地に詰まっていると思うと面白いようで少しもの悲しさを覚える。

イングランドの森を思い浮かべた

 私が歩くと鳥は鳴き声をひそめて密集する枝葉に体を打ち付けながら身を隠そうとする。私も鳥の写真を撮りたかったのでしばらく格闘していたが一枚も撮らせてはくれなかった。

 杉の植林は枝打ちや旱魃がされておらずみな細かった。確かにこれほど運搬が大変な島であれば林業が廃れてしまうのもよく分かる。しかしこの日は重機の音が遠くから鳴り響いてきていた。

ススキの原っぱに出た
ススキは乾燥して穂をもたげている
多分セキレイ
コースの入り口

 天売島にはいくつかの自然観察コースがあって入り口にはそれぞれ看板が立っている。トラフは恐らくいない。

鏡に映った道。遠くに見える東屋が前回訪れた遭難者の碑があるところ。
セキレイばかり
これから降るのだろうか
再び遊歩道へ。モズコース。
トイレ
島が狭いので知り合いとよく遭遇する
林道。杉が痛々しい。

 もうすぐ暗くなろうかという時間だったがまだ廻り切れていなかったので少し急ごう。(自転車は墓地の近くに置いて来ていた。)

ノゴマ
曇り始めてきた
大きなカタツムリ
小さなカタツムリ
廃道になった

 島のガイドブックでは行き止まりになっている区間ではあったが、地理院地図には道が描かれていたので来てみたが廃道であった。しかし藪は道の中央部には進出してきておらず歩きやすい状態であった。ただひたすら日没への焦燥が私を襲う。

樹林帯なので歩きやすい
太陽への憧れ
三吉神社
廃寺のような印象
社神吉三
天井が抜け落ちる

 廃道を抜けた先にあったのは三吉神社であった。グーグルマップにも地理院地図にも描かれているが荒廃してしまっていている。しかし人の手を離れてからまだそれほど時間がたっていないようにも見える。ここ数年での衰頽が著しいということだろうか。秋の夕暮れはもの悲しく山の方から冷気が降ってくるようである。

何かが刺さっていたのだろうか
夕暮れの烏
時折参拝する人もいるのだろうか
埋もれた青の鳥居

 いよいよアスファルトのある道路まで戻ってきた。既に太陽が隠れて久しく道路に人影はない。道端のとある小屋では男たちが風呂に入っていた。

番屋
番屋

 観光マップに載っていたので来てみたものの殆ど荒廃してしまっていて容易に近づけない。形骸化した巨大さだけが往時を偲ばせる。

 さて私は自転車を取りに戻らなければならない。再び森へ入ろう。

再び森へ入る
浄水場
左の道へ行く。右は辿ってきた道。
小さな沢
マシコ橋
アトリ橋
コマドリ橋

 いくつか沢が連続していたが流れは音もなく木々のざわめきに隠されていた。いよいよ宵闇は深さを増し灯りは木々の上に茫漠と広がる藍色の空のみであった。十分ほどであっただろうか程なくして自転車を回収し墓地を一気に駆け抜けると濃紺の海の中に輝く焼尻の灯台を見たのであった。水平線近くに輝く不動の1等星はなぜか私に帰るべき場所があるのだということを暗示しているように感じられた。

焼尻島

 急いで旅館に戻ると中年の男たちが浴衣姿で煙草を吸っていた。旅館の灯りにため息を漏らしたことは言うまでもない。

続く

投稿者: yonekura53

こんにちは、米倉と申します。海老名鰹だしとも申します。クラシック音楽と旅行好きの大学生です。

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