焼尻島一周編の続き。
郷土資料館の見学を終えたのでめぼしい観光スポットとしては最後の地、オンコの森を目指す。



郷土資料館のすぐわきからハート形の模様のある道を登る。焼尻島には二段か三段の段丘が形成されているようで、登った先には僅かだが平地が広がっている。まずは島内唯一の神社、厳島神社へ向かおう。




焼尻の狛犬は動的で生命力あふれる形をしている。

神社は余り手入れをされていないようだった。やはり人口の少ない島で、高齢化も進んでいるとなると致し方ないことなのだろうか。社務所に無造作に張られた選挙ポスターが寂しい。
それではオンコの森へ入ろう。社殿のすぐわきから歩道が伸びている。




焼尻では雪の重みのために平べったく枝を伸ばすことになってしまったイチイの木のことをオンコというらしい。島の東側にはイチイだけでなく多種多様な樹木からなる原生林が広がっていて多種の奇木が存在する。




幕末、文化年間にロシアの脅威に対抗して幕府は東北諸藩に命令して蝦夷地警備をさせた。会津藩は樺太まで出兵したのだがそのさい殉職者が多く生まれた。この墓碑は帰郷を果たせなかった二名の会津藩士の墓である。墓石は新しいがあとで建て替えられたものなのだろうか。ただ周辺も整備されていることからもこの墓が島民によって大事に手入れされていることが分かるだろう。

この日は島に二軒ある食堂はどちらもお休み。一軒だけあるカフェにあまり期待しないで行ったところ開いていたので入ってみることにした。

店内に入るとコーヒーの穏やかなにおいが漂っている。そして微かに流れる80年代くらいのJ-POP。壁は本や額縁で埋め尽くされる。二つあるテーブルにはどちらも人で埋まっていたが私と同年代くらいの二人組のところに案内された。
ミートソースを頼んだ後、しばらく気まずい時間が流れたが背の高いやせ型の青年が声をかけてくれた。久方ぶりの人との会話に私はすっかり落ち着いてしまった。一人で店をやっているために料理が出てくるまでしばらく時間がかかったが、昨日から続いていた緊張感が解けるのに任せて談笑のひと時に浸った。
しばらくするとハーブの香りに包まれてミートソースとカレー、そして付け合わせの玉ねぎのマリネが出てきた。ミートソースの味はケチャップなどの味には程遠くむしろポロネーゼを思わせるものだったが大変美味しい。頗るお腹が空いていたのでカレーを頼まなかったことを多少後悔したが、スパゲティの割には量も多く食後のコーヒーも2杯いただけた。(ちなみに先ほどの会津藩士は脚気の予防のためにコーヒーを飲んでいたようである。洋楽を聞きながらお茶を嗜めるとは隔世の感もひとしおだ。)オーナーさんは横浜から移住してこられた方で今は喫茶店を営みながら絵を描いたり音楽を聴いたり本を読んだりしているそう。料理も芸術家の作るそれで、新たな味を求めることに余念がない。窓の外では強い雨が降ってきていたが雨の音もどこか洒落ている。結局一時間以上ここにいたようだ。雨だれが音ついてきたところを見計らって店を出た。

実はパソコンの入ったリュックを民宿の庭に置いていたので一度民宿へ戻る。インターホンを鳴らすと今度は女将さんらしき人が出てきて私を出迎えてくれた。しかしそのぶっきらぼうな物言いはひどく私を驚かせた。僅かばかりの人との交流の中でその冷たさに触れるとはなんと悲しいことであろう。しかしこの他者へ不寛容と無関心を体験するために島へ来たのではなかったのか。孤島に暮らす人々の人間関係の一端を垣間見たような気もする。ただやり場のない居心地の悪さを感じたので夕食の時間を聞いてすぐに丘を登ってオンコの森へと向かった。


いったんは止んでいた雨も私が森の中へ入り込むとすぐに降り出し、雨宿りを余儀なくされた。しかし天気雨の幻想的な様子を見ていると立ち止まってはいられなくなった。今まさに雨に濡らされつつある森の端々を観察しなければならないという衝動に襲われたのである。泥濘んだ道は潮風に錆びたママチャリには酷であったがそれよりも先に進まなければならないという意識が強く働いて、私を森の奥へと進ませていった。雲雀ヶ丘公園は丘とは言うものの少々窪地になっていて池や運動場が点在していた。もはや誰が運動場を使うのか全く分からない状態ではあったが無人のグラウンドに降り注ぐ雨と太陽と木々によるスポットライトは人間を超越したものの戯れを想像させた。

闇雲に自転車を漕いでいるといつの間にか雨は止んでいてどこまでも続くかに思われた原生林も舗装路の出現と共に途切れ、視界いっぱいに黄昏の空が広がった。

雨上がりの道は絶え間なく移ろう太陽と雲の機微を反映して美しかった。牧場と真っ直ぐ続く道はここが離島であるという意識をいつの間にか消し去っていてかつて訪れた弟子屈の道を想起させた。



少し進むと羊が放牧されていた。焼尻名物の羊には会えないと思っていたので視野に入った瞬間相当な喜びを感じた。やはり焼尻は小さいながら様々な側面を持っている。自然豊かな島ではあるがそれは決して人をはねのける類いのものではなく共存可能なものであるかのようである。牧草はのびのびと育っていたが多くはもう満腹だったのだろうか食べようとしない。雨上がりの澄んだ潮風を吸って、時折こちらを覗いているだけである。フランスの印象派の絵画の題材になってもおかしくないような牧歌的な風景である。羊は休暇に海水浴を楽しむヨーロッパの上流階級にも似た気品を持っている。やはりここでもある種の軽蔑にも似た無関心が羊を支配していて、人間はその情操の難しさに快感と羨望を抱くのだ。

次第に雲が途切れがちになって太陽が燦然と降り注いできた。路傍に生えるススキが余りにも美しかったので早く鷹ノ巣園地に行かなければならないという衝動にかられた。中空にぽつねんと浮かぶ太陽を見てみたかったのだ。


生憎日はまだ高かったが海中を漂う森羅万象に手を差し伸べるかのような光線の飽和の中に入って、自らの存在の薄まったことに対する陶酔に溺れた。風は先ほどとは異なってもはやあまり強くなかったので強調された影の濃淡は固定されて動くことがなかった。


引き返してみると眼前に広がる景色はうっすらと金箔を張り付けたかのような金色であった。それは決して採取できる濃さのものではなく触ろうと思えば幻と消えてしまうものである。

再び森に入ってオンコの荘と呼ばれる広場までやってきた。イチイの木がなぜか生えておらず小部屋のようになっている。きっと少年時代ならば秘密基地にも似た感覚に興奮を覚えたことだろう。


オンコの荘からは雄大な日本海が眺められる。先ほど通った白浜野営場が見えた時には焼尻島の旅の黄昏を感じた。





太陽が最後の活力をもって濃い影を作り始めた時の亢奮はもはや言を俟たないであろう。雨に取り残されたナメクジすら何か感情を持って蠢いているように見える。






原生林は広くはないのだが面積以上の静謐な雰囲気と物の怪たちの気配を感じられる。やはり人の暮らしが大海の中でちっぽけになってしまっている焼尻だからであろうか。狭いはずの森が富士の大樹海にも匹敵する雄大さを持っているように思われるのだ。


狭い島ではあるが沢が何本かあって山中の遊歩道には吊り橋が二本架かっている。少し肌寒くなってきた。

小一時間前まであれほどくっきり見えた北海道の大地はいつの間にか雲に隠れてしまった。島から出られない閉塞感はいつの間にか島の住人としての安らぎへと変わっていく。夜のそよ風は疲労を誘い足取りを重くさせる。夕食の待つ民宿の玄関が仄暗く、しかし昼間の時とは違って今夜―とはいっても永遠に続くかに思われる焼尻での生活―泊まる家としての温かみをもって光っていた。海は凪いでさざ波もどこか遠くから鳴り響いてくるようであった。
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