
後編ですね。前編はこちらをどうぞ。

これからはお馴染み、キハ40系に乗って有珠へ向かいます。年季の入ったエンジン音は一昨年の夏以来で懐かしいですね。

キハ40だと車より遅いのかと思っていましたがそんなことはありません。並走する車を次々と追い抜いていきます。やはり平坦地には強いのでしょうね。石北本線の動画をよく見ていた私には少し意外でした。

窓を開けていたのでものすごい勢いで風が吹いてきます。貨物列車とすれ違ったりしたら生きた心地がしません。せっかく温泉で温めた体も急速に冷えて、少し頭が痛くなってきました。

いよいよこれから山越えです。この付近で普通列車ともすれ違いました。

峠越えとはいえ比較的平坦なのでキハ40もスピードを緩めることはありません。

小幌駅では驚くべきことに若いカップルと熟年夫婦が乗ってきました。少し前にすれ違った普通列車に乗ってきたのでしょう。小幌駅は観光地として相当名が知られていることを窺わせます。小幌駅にはほかにも鉄道ファンと思しき方々が2,3名いらっしゃいました。

礼文駅では若いカップルが降りていきました。このあたりから急にトンネルの合間の日差しが強くなりました。


礼文駅を過ぎてからはいよいよ海沿いを走ります。対向列車が極端に少ないので安心して潮風を浴びられます。




このあたりは程よい街並みと自然が連続し、かつ海がとてもきれいな風光明媚な区間です。ちょうど日が傾き始めた時間でもあり、次第に影が濃くなっていく情景は旅愁を掻き立てます。




有珠駅に着くころにはもう4時を過ぎていました。温泉に入ってすっかり怠けてしまった足は痛みを発します。夏の盛りとはいえ北海道であり、かつ令和二年度の夏は短かったこともあって西日の背後に潜む涼しさが時折頬を掠めます。



有珠駅から善光寺へ向かってゆくと綺麗なバラが満開でした。特に黄昏時に入りかけた西日の鮮烈な時間帯には、肉厚な葉や鮮やかなピンクの花びらがよく陽光を照り返し通りがかる人の目を奪います。


まさに薄墨を垂らしたという表現がよく合う光景です。穏やかな波に揺られる小船の姿には日本人ならば誰しも郷愁を覚えることでしょう。風のない午後、船のある辺りではもうすでに日が沈んでしまっています。海と森はやがて宵闇のもと一体化するのでしょう。


門前町らしい商店街まで来ると陽が差していました。古びたポストが花のない植木鉢に光彩を与えています。しかし潮風に錆びておりどこか秋の到来をも感じさせます。


海岸沿いにはよく廃屋がありますが手前にヒルガオの花が咲いていて大変綺麗でした。撮り方を変えればもう少し良い写真になったかもしれません。

山門はなく門柱が立っているのみです。善光寺と言えば長野のものが有名ですがこちらも北海道の中では屈指の古刹です。



看板にあるように江戸時代から生息している大きな銀杏の木です。木の全体は撮っていませんが風情のある大きな古木でした。奥に見える茅葺き屋根の建物が本堂になります。

簡単に要約すると平安時代、慈覚大師が建立、のち寛永年間に松前氏が再興、その後も多くの紀行家が訪れ代々の住職により発展してきたとのことです。仏像を見るためには予約が必要だったのですがこの時は予約しておらず仏像を見られませんでした。再訪決定ですね。

めぼしい文化財は宝物庫にあるようです。


庫裏の裏側には日本庭園があるようです。秋には奥の木も色づくことでしょう。


庫裏の内部も面白そうでした。ただコロナの関係で内部に立ち入れなかったことが残念で仕方ありません。(再訪するのでいいのだけれども)

北海道ではあまり茅葺き屋根を見かけないので大変貴重な存在だと思われます。内地の寺院と比較しても見劣りしない立派さです。


善光寺の境内や裏山には寺領だからか古木が多くて大変見ごたえがあります。

紫陽花は残念ながら切られていて青い葉を茂らせているばかりでした。庭はさほど見ごたえするものではありませんが、縁側に座ってのんびりしたいなと思わせる素朴さがあります。








このように境内の至る所に杉菜が生えていて幻想的な雰囲気を醸成しています。そして杉菜の森からは死者の霊に起因する恐怖や自然の過酷さではなく、遥かなる人間と自然の歴史や自然と息づく死者たちが感じられ、大変居心地の良い空間となっています。人為の及ばないものと人間の狭間を浮遊するかのような不思議な感覚です。ぜひとも北海道を訪れたら皆さん有珠善光寺へ行っていただきたい。





善光寺の裏山もまた素晴らしい。有珠山の噴火によるものでしょうか、大きな岩がそこかしこに転がっていて、その一つ一つから木が生えているのです。もはやこれは木の執念のように思われたのと同時に、岩の意志とも言うべきか、地球そのものが持っている人知の及ばない力の一端を垣間見たような気分にさせてくれます。木と岩はもはや一体となっていて分かつことができません。木がなくなれば岩の力も急激に落ち込んでしまうような気がします。

噴火湾には有珠山の噴火の残滓でしょうか、岩礁が付きだしています。行き交う船はもうありません。太陽は地平線に群がる雲に隠れてしまったようです。


生命の力は善光寺の境内に息づいています。そしてその力は人間の感じやすい姿で私たちの眼前に表出します。しかしそれは展覧会ように作られた箱庭のような自然ではない。地球の胎内が偶然、奇跡的にこの地上に出現した場であるように思います。



五時の鐘が鳴ったと思うとお寺の方が庫裏の雨戸を閉め始まました。私も列車の時間があるので急いで駅へ戻らなければなりません。


有珠駅に列車が到着しました。これも寂しい単行です。思えば小樽以来全て単行でした。
今後は天気が曇ってきたので写真は少なめになります。

東室蘭では先ほどの列車、室蘭行きとなるのですが私はここで降りて駅の中を少し見て歩くことにしました。ただ写真はありません。


東室蘭ではやることがなく暇だったので萩野行の普通列車で登別駅まで来てみました。幌別までは高校生などで賑わっていたのですが幌別で自分以外の乗客が降りてしまい独りぼっちでの乗車となってしまいました。見送った列車には運転士しか乗っていません。

登別駅の周辺で何か食べようと思っていたのですが店がほとんどありませんでした。さすがに居酒屋に入る勇気もなく結局何も食べずじまいです。


この写真を撮る少し前に萩野駅から回送されるキハ40が猛烈な勢いで過ぎ去っていきました。

いよいよ札幌に帰ります。もう八時くらいだったでしょうか。大学のレポートに勤しみます。



札幌駅は少し肌寒く夜の風が吹いています。レポートも無事書き終えたのでゆっくり眠れました。