一昨年の年末、IGR岩手銀河鉄道が開業十周年を迎えたことを記念して発売された乗り放題券を利用して八戸へ旅行した。 始発に乗ってまずは三戸城へ向かう。この日も痺れるような寒さであったが車内は暖かい。二戸を過ぎると馬淵川に沿って盆地が広がり三戸に着く。

三戸城は小高い丘にあり石垣などは少ない中世の城郭である。三戸南部氏、後の南部宗家が居城としていた。盛岡に移るまで南部信直はここを居城としていた。

一部に再建され、城郭らしくなっているところもあるが上のような門は一カ所しかない。


掘り割りは曲線が美しい。屋敷跡ごとに表示があり、本丸に近付くほど高級武将となってゆく。

本丸は神社の境内となっており正月に向けた準備にいそしんでおられた。


徒歩道となっているところにもこのように広い平場となっており落ち葉を踏みしめてゆく感覚が心地よい。 三戸城には資料館もあるが年末のため休業である。三戸城訪問後はフライドチキンを食べ、三戸駅へ戻った。 三戸駅からは更に北上して八戸を目指す。八戸では当初根城と是川遺跡を訪問する予定だったがどちらも休業だったので観念して櫛引八幡宮へ向かう。

櫛引八幡宮には長慶天皇所用と伝わる高校の日本史資料集にも載っている鎧と南部師行が天皇から下賜されたという鎧をはじめ多くの宝物がある。撮影禁止であったので撮ってはいないが鎧は素晴らしいものであったので是非とも見ていただきたく思う。

本殿には多くの彫刻があるという。一つ一つを見つけることは困難であったが桃山期の様式を見せるという本殿には当時の豪奢な気風が漂う。江戸時代を通して南部家に篤く保護されたので周囲は綺麗に保護され、損傷も少ないようだ。 バスに乗って八戸市街を目指す。

八戸文化会館の近くにある城門。門は立派だが中には何もなく残念である。


本八戸からは八戸線で鮫まで向かう。やってきたのは今は無きキハ40系である。(当時はそれしかなかった)


蕪島である。期待したほど海猫の姿はなく火災で焼失した神社の復旧作業が進められていた。

遠くに見えるのは八甲田山だろうか。手前に見えるのは先程の蕪島神社。その覆いが取れれば絵に描いたような景色を見ることができるだろう。
鮫駅から陸奥白浜までの区間を歩き通すことにした。三戸で食べたフライドチキン以来何も口にしていないが歩き始めると空腹も忘れられてしまうものである。鮫から峠を一つ越えると緩やかな断崖が続く。


草はすべて枯れてしまい冬の風に晒されている。

途中のレストハウスを過ぎると断続的に遊歩道が整備されている。これは種差海岸まで続くそうであるが砂浜に出ると遊歩道は消えてしまう。松の木は海風に押されて陸側に傾いている。

これは東山魁夷の名画、「道」のモデルとなった道路である。当時から舗装されていたかどうかは疑問だが、道の曲がり具合は正にあの絵そのものだ。しかし海岸の松の優美な一本道から北海道の草原を進むような道を連想するとは発想が常人のものとは異なっている。

遂に白浜海岸が見える。この砂浜をひたすら歩いて行く。

砂浜にはこのように恋人達の愛の痕跡が至る所に残っている。いずれは波にさらわれて消えてしまう運命にある2人なのだろうか。消えて無くなってしまうことを憧憬しているかのような行為である。


太陽が沈む間際の砂浜である。ここでは雲に遮られて砂浜が綺麗に見えないので向こうの明るいところまで急いで行ってみよう。


影は長く伸び白波は飛沫ごとに白く煌めいている。五分と経たず訪れる夕闇を拒絶するようだがクレーターのように空いた足跡には既に闇が訪れている。


どこを振り向いても金色の砂浜が見られる。これは今までに見た海の中で最も美しいものだ。私の身の回りすべてが特殊な光彩を放つように見える。


夕日が雲に隠れた後は再び冴えない砂浜へと戻った。遠く日を浴びるところもあるが沈みゆく運命への非力な抵抗でしかない。


月の出た陸奥白浜駅である。となりの種差海岸まで行っても良かったが電車に遅れることは避けたかったので陸奥白浜駅から乗ることにした。駅の簡素な待合室へ入るとさざ波が響いてきて海が間近にあるような気がしてならない。ひいては寄せる海がいつしかこの地を覆い尽くしてしまいそうだ。

列車はリゾートうみねこの車両でやってきた。車内は程よく空いていた。隣にヨーロッパの方が座ってきたときには少々驚いた。 盛岡への帰路は暗闇にいつまでも揺られている感覚であった。八戸駅で食べた月見蕎麦は美味しかった。