四日目は納沙布岬まで足を伸ばしてみることにした。(三日目はこちら)二本目の釧路行きの列車に(一両編成だが)摩周から乗車する。摩周駅前には足湯もあったが涸れていた。標茶、東釧路間は釧路湿原の際を沿うようにして走行する。冬には丹頂鶴が見られる茅沼や湿原が見渡せる塘路など見所が多く、私も実際に釧路川の蛇行を眺めたりしていたのだが湿原側にはずっと電線が引かれており写真を撮る気にはなれなかった。 東釧路からは釧路市街を通り抜ける。釧路川を渡るとすぐに釧路駅へ到着だ。釧路駅は昭和の雰囲気のあるテナントにコンビニや駅弁屋、古本屋が詰め込まれている。薄暗い回廊に溢れる人波は何処か新鮮さすら感じる。


釧路駅前には大きな車軸があって鉄路の果たした役割を象徴しているようだ。構内には長いホームが並んでいるが特急の他は殆どが一両編成で虚しい。

停車する特急おおぞら。駅弁の立売も行われている。

これが今回乗ったキハ54。発車の五分前くらいには列車へ向かったが席の大半は埋まっていた。上の写真を撮っていたらJRの方に写真をお撮りしましょうかといわれたが気恥ずかしくお断りしてしまった。 席にいても窮屈なので昨日座ってしまったがために景色を堪能できなかったことを踏まえてデッキに立って前面や側面の展望を楽しむことにした。 列車ははじめ非常に単調な山岳路線を走るが厚岸の直前から急に景色が晴れる。



厚岸を過ぎるとこのような湿原の中の築堤をひた走る。路盤が良くないようで高速走行はできないようだったがその分景色を充分に堪能できる。ちょうど晴れてきたところだったので水面に反響し合う湿性植物を見ることができた。

列車の交換が行われる。デッキには常に人出があり酒を飲んでいる人も居た。絶景を前にして麦酒を飲むとは団子より花の心情なのだろうか。酒臭さがいつしかデッキを覆っていた。


厚床を過ぎた辺りから霧が漂ってきた。霞がかった弓状の渚も見ていて情趣が漂うものである。

根室に近付いた頃だろうか、このような草原も見ることができる。荒涼としたさまは高山の趣を催す。落石の辺りだっただろうか、鹿も見ることができた。警笛を鳴らすとすぐに藪へと姿を眩ましてしまい写真を撮ることは叶わなかった。 一昨日までの列車旅とは違い、電池は充分にあったのでバルトークやら何やら聴きながらデッキに立っていた。かかし王子や舞踏組曲はその鄙びた感じや切なさがこの光景とよく調和している。

肖像権の侵害で訴えられそうな写真。彼女たちは列車の写真を撮っているようであり、写真の撮り合いをしているようで滑稽だ。中年女性はポージングをしているので被写体となることを想定していたのだろうか。東根室の駅は賑やかなものであった。

根室駅は平屋でこじんまりとしている。駅前道路には根室名物エスカロップや花咲ガニの店が並ぶ。朝から何も口にしていなかったが食事は後にして納沙布岬行きのバスに乗ることにした。


車窓からは先程に引き続き似非高山帯の光景を眺めることができる。さほど寒くはなく、寧ろ暑いくらいだったがあまりの冬の厳しさには如何なる樹木も耐えかねるのだろうか。根室半島は細いため国後側の海も見えるかと思ったがそのようなことはなかった。 道中、人家はそれなりにあり車の往来もバスの後ろに列をなすくらいにはあったのだった。乗客の多くが納沙布岬まで乗車したが途中、地元民の乗り降りもあり思いの外利用されている。


似たような碑が二つあったがどちらにも北方領土のことが書かれており返還に対する熱意が並大抵で無いことを思い知った。(ロシアが返してくれる公算は低いと思うが)

これ程大勢の人が押し寄せる場所だとは思ってもみなかった。歯舞群島は見えなかったが水平線の奥に辿り着くことが許されぬ土地があるのだ。 バスはすぐ折り返すのでそれに乗って根室市街へ戻る。道は異様に広いが町の至る所が潮風に寂れているように思われた。駅前のエスカロップ屋は満員とのことだったので北海道名物、セイコーマートで簡単に昼食を買って根室駅へ戻る。

駅前には花咲ガニの直販店もあったが蟹への欲求を堪えて駅へ向かう。

根室本線の釧路根室間は花咲線とも呼ばれる。肝心の花咲駅は廃駅となってしまったが短い夏を謳歌する野花を暗喩した路線名なのだろうか。 駅では改札はまだ始まっていなかったが長蛇の列ができていた。一両編成なのできっと座りきれないだろう。観光シーズンは増結しても良さそうなものである。

これが今回乗る列車。キハ54だが塗装に特徴がある。 結局私は窓側の席を確保することができ、途中少し寝てしまったが、景色を楽しみつつ釧路へ戻ることができた。(台風の影響で晴れることはもう無かったけれど)


釧路駅へ再到着。写真も再使用のもの。二度目の到着は何故が安心感すら覚えさせるものである。ホームへ繋がる地下通路も家族に対するような温かな眼差しを向けてくれる。時間が少しあるので釧路の炭鉱に繋がる鉄道まで歩いて行ってみることにした。


きっとこんな日に出歩く恋人達などいないのだろう、みるみる間に互いの心に暗雲が立ちこめるに違いない。

釧路にはロータリー交差点もある。歩行者は極めて少ないが車通りはかなりある。車社会の浸透は地方ほど早いようである。

上から見るとこんな感じ。歩道は歩きやすく、道程も掴みやすいので歩行者に対しても優しい。


小高い丘(とはいえ集合住宅団地化されているが)を越えると海岸沿いにこのような線路が引かれている。これは国内唯一の炭鉱から石炭を運搬するものだが、今春には休止されるという。かつては夕張をはじめ、道内各地で石炭の採掘が行われていたが現在では釧路のみとなっている。

鳥が縦横無尽に羽ばたき続けている。台風の到来も近いのだろう。空は暗くなるばかり。

帰りはバスに乗って釧路駅へ戻った。 ここでも見つけた石川啄木の痕跡。啄木を循環してみたいものである。

今回乗るのは久し振りのキハ40。重々しいエンジン音と加速力の無さには定評がある。二両編成だったが乗客は少なく過ごしやすい。これに乗って帯広まで向かう。釧路市街はすぐに抜け、白糠町へ。白糠駅の辺りで遂に雨が降り出したと記憶している。打ち付ける雨に惑わされつつ時折見える太平洋を眺めると護岸に波形書く打ち付けているのが見える。ちょうど池田へ向かう途中の山を越える辺りで遂に闇夜に包まれた。車内が明るいこともあり何もない荒野をひたすら突き進んでいるような錯覚も覚える。車内には重苦しい倦怠感が漂う。 帯広が近付くと線路は高架となる。

列車は遂に帯広に到着。既に8時を回っていて店は閉じられているのだが、浴衣姿の女性や子供が妙に目立つ。不思議に思って駅前へ出てみるとお祭りが行われてた。祭りの大部分は終わり、片付けが進んでいたが夜はまだ早いというばかりに騒ぐ若者達が大挙している。濡れた路面に際限なく降り続ける雨垂れに反射した提灯が心地よい。 何を食べようか迷っていたが食べないことにしてホテルへチェックイン。部屋は自分が寝るスペースのみのカプセルホテルタイプだったが一人旅には十分。

帯広にはモール泉という湯が沸く。湯は褐色で入った途端、気泡が纏わり付きその湯は熱いとも冷たいとも感じ取れない得体の知れないものである。ここでは地元の古老との会話を楽しんだ。 温泉の後はすぐにホテルへ戻りそのまま就寝。雨が止むことを願いつつの就寝だった。
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