帯広で迎えた朝は曇りで憂鬱なものだった。今日は登別へ行くことはやめて鉄道で旅をすることに決めた。コンビニで朝ご飯を買って帯広駅へ。昨夜の燦爛とした饗宴の面影は無く雨がひたすらに寥々と降っている。

新得行きの普通列車は何故が三両編成での運行。最後尾には北海道の恵み号が連結されていたが立ち入りはできなかった。

白、赤、緑と大変色彩豊かな編成作りを心がけているらしい。 新得までは上り勾配が続くが辺りは森ばかりで眺望の優れた場所はあまりない。買ったスパゲッティを食べながら雨垂れを眺める。

新得から東鹿越までの区間は土砂災害により不通でバスによる代行輸送が行われている。乗車率は割合高く、髪をどぎつい色に染めた青年団がその大部分を占拠している。かつて日本三大車窓と言われた勝狩峠も通過したが雲はあまりにも濃く、十勝平野の雄大な眺望はおろか百メートル先すら怪しいほどだった。

幾寅駅には浅田次郎の小説、鉄道屋に使われたセットが残っている。ここに再び列車が通ることはあり得るのだろうか。

東鹿越からはお馴染みキハ40。乗客はそれなりにあった。この辺りから少し寝てしまい、ふと人気に目を覚ますともう富良野であった。隣には中国人男性が座っていた。北海道の誇る観光地、富良野を通過することは心苦しいがしかし悪天候がその哀しみを和らげてくれた。富良野から先も列車は走り続け遂に終点滝川に到着。

先日も乗ったカムイ号に再会することができた。

続いて721系に乗って岩見沢を目指す。久し振りのモーター音は気持ちの良いものだ。

岩見沢へ到着。かつての鉄道の町は寂れきっている。駅舎は新しいがこの余剰な鉄道の配線が示す衰頽ぶりは明らかだ。

近くには煉瓦造りの建物もある。冬は途轍もない寒さに襲われそうだ。

岩見沢から苫小牧までもお馴染みキハ40。車窓が映えない区間に代わり映えのしない列車とは挑発的である。

旅のお供の烏龍茶。昨日の緑茶はお役御免となったようだ。

奥に見える731系は何の関係もない。中々良いツーショットである。

苫小牧駅に到着。あまりにも長い時間列車に揺られていたはずだが時間の感覚が麻痺しているので苦にもならなければ楽しいわけでもない。呆然と車窓を眺めることに如何なる感覚も必要としない。

時間があったので鵡川まで。塗装の変化で頑張っているキハ40たちである。

代替バスとの接続が良い便であるため程よい混雑を見せる鵡川駅。この先の線路も復旧しないのだろう。

鵡川駅構内は寂れきっている。苫小牧から雨は止んだのでそれだけが救いである。

再び苫小牧駅。この写真だけ見ると廃れているように見えるかも知れないがそれほど廃れてはいない。なおも時間があったのでドンキホーテで時間を潰す。

キハ141系にて東室蘭へ。この区間には全国最長直線区間があるそうだが全く分からなかった。苫小牧から遠くなるごとに人が減ってゆく。

列車はひどくぼやけているが足下の点字ブロックを見て頂くと決してピンボケではないことがおわかり頂けるだろう。特急すずらんは東室蘭、室蘭間は普通列車として運行されるのでそれに乗って室蘭へ。

室蘭駅は円筒型。夕焼けのない曇天は悲しいけれど受け入れるしかない。町中でカレーラーメンを食べ、お土産を買ってフェリー埠頭へ。

この船に乗って宮古まで向かう。初の船旅である。

甲板へ向かうと車の積載作業中。このフェリーは8時発の予定となっている。

8時になると音もなく岩壁を離れた。隣では別れの挨拶を大声で交わしているが自分も心の中で旅の終焉を感慨深く思った。

白鳥大橋は室蘭湾に優雅にその白い姿を映し出している。甲板にはこの橋の下をくぐるまで多くの人がいた。夜風は少し寒い。

室蘭は日本有数の工業地帯であるがその名に恥じず工場が稼働している。空を覆い尽くす雲にぼんやりと広がる灯台の明かりは幻想的だ。 この後、私は風呂に入ったが船があまりにも揺れ湯船が溢れだすので落ち着いて入れない。勉強をして寝ようと思ったがふとしたことから仲良くなった方と話し込んでしまい3時まで夜更かし。軽い船酔いと夜更かしの陶酔から次の日の朝はひどい倦怠感。宮古のフェリーの待合室で嗅いだカップラーメンの匂いほど身の毛のよだつものはない。 山田線は運休だったのでバスに乗って盛岡へ帰る。茶畑の交差点に着いたときには懐かしさすら覚えた。 私が盛岡へ到着した次の日大雪山では雪が降ったと言うから驚きだ。初雪は8月の半ば。冬の訪れも近い。