平成31年四月上旬、山田町を訪れた。こちらの稿と一連の繋がりを持っているのでそちらもご参照のこと。三陸鉄道で昼下がりの山田駅へと降り立った。

陸中山田駅へ着いたときには非常な晴天で輝かしいくらいの天気である。雲の流れは速くその輝きは不安定なものなのだが。

こちらは西口方面。新興の宅地が広がっており町の雰囲気は穏やかだ。

東には商業施設が広がる。これは陸中山田駅と隣接した「はぴね」なる施設。

こちらは陸中山田駅全景。風車が可愛らしい街とよく調和した駅である。大槌駅と異なり鄙びた雰囲気の中に孤立している様子も無い。

駅前にはスーパーマーケット「びはん」車が多く停められており人の出入りも激しい。

海岸と住宅を結ぶ道路。山が近いので淋しい感じはしない。

こちらは海岸方面。突き当たると国道45号である。端正な町並み。

国道45号に突き当たって暫く北進するとセブンイレブンの看板が現れる。

そしてその一角に今回昼食をいただいた食堂「いっぷく」がある。山田出身の元カノのお勧めである。

私が頼んだのが上のカキ天丼。牡蠣は大粒で甘みが強い。タレは薄味で牡蠣の旨味を損なわないようにうまく調整されているように感じた。税抜きで900円。

弟が頼んだのがこちらのホタテはらっこ丼。味については分からないが帆立を味見したところ歯ごたえがしっかりした新鮮と思われる帆立であった。税抜きで1500円。吸い物はわかめと豆腐で小鉢はワカメと人参の和え物である。どちらも塩加減が程よく出汁のよく取れた丁寧な味となっている。塩辛くないので飽きることが無い。

昼食の後は山田漁港を探訪してみた。海と空は益々青くとりわけ海の碧さは他であまり見ないものである。漁港には打ち上げられるペットボトルや草の類いは少なく岸壁を見下ろしてもそこにはただ打ち寄せる波があるのみ。ゴミの少なさは信じがたい程である。

北側を眺めると漁船が数多く停泊している。ちょうどお昼と言うことで漁師達の快活な笑い声が時折響く。

沖を見やるとオランダ島。周囲には数え切れないほどの筏を従えている。背後の山に薄らと積もった雪が遥か遠くのものように思える。外洋は見えず外輪山のごとく囲む山並み、そして穏やかな海。このような景色を見ていると十和田湖などの景色が思い出された。しかし潮風が吹いたときにこれが海であることを知覚する。ここにあるものは閉塞では無く開放なのだ。

どこを見ても外洋は見えない。しかしこれが海であるという事実は疑いようが無く揺るぎないものである。外を見てみたいという欲求が溜まる。

こちらは南側。防波堤はいずれ山々と海を隔離してしまうのだろうか。

船越方面を臨む。山田町にはめぼしい観光地は無いがその海と人々の活気は魅力に溢れ、しかしそれは訪れなければ分からないと言うところが悲しい。寂れた漁村といった風情では決して無くかつての栄華に打ちひしがれるような感情も芽生えない。

漁港を後にしてこれより前方に見える山へ登る。

コンクリート舗装の急な坂を登ると善慶寺がある。紫と橙の幟は懐かしみを沸かせるものである。

丘の上から見てもその碧さは変わらない。そして広い湖といった印象は増すのである。

この赤いお堂は麓の国道45号からよく見え、コンクリートの砦のように見える山にある唯一の色彩といった印象である。

この墓地を抜けて反対側の龍昌寺へ抜けてみよう。竹林は爽やかに陽光を緑にして時折紫の花なども咲いている。港町らしく猫もいて私と暫く目を合わせると藪の中へ消えていって二度と現れない。

ここは鈴木善幸元総理の菩提寺でもある龍昌寺。

山門は重厚で山田の歴史と矜持を感じられる。側には幼稚園があり歴史を感じて成長しているのだろうか。

こちらは山田町の役場。向かい側には鈴木善幸の旧宅もあるらしいが未確認である。鈴木善幸は知名度が大変低く実績も殆どないような総理大臣だが戦後唯一の岩手県出身の宰相、それも山田出身という人物である。


役場のすぐ脇には山田八幡宮がある。秋には祭りが行われて神輿が街や海を練り歩く。虎舞なども見られるらしい。

町で一番の神社というだけあって規模が大きい。参道には鳥居が並ぶ。


本殿の木彫の獅子は動的で迫力がある。人々の精気が乗り移ったように思える山田を代表しているような彫刻である。

八幡社とある。

本殿に向かって右側にある建物。

奧はこのような感じ。コンクリートブロックが残念にも思うが仕方ない。

神輿が収められているらしいが中は覗くことができない。下の穴より覗いてみたが中は完全な闇であった。

脇には祠が建ち並ぶ。しかしいずれも歴史を感じさせるものでは無い。

神社は丘の上に位置しており山田の町並みが見渡せるはずだが杉並木が繁っているため眺望はあまり優れない。しかし町とは隔絶された神秘の場所であるかのように感じられるのでそれもまた一興だろう。

陸中山田駅へと戻ってきた。

広場に遊ぶ子供の姿は無かったが不思議なことに活気を感じられる町であった。

船越行きの切符を買って乗車する。

一両編成の釜石行き普通列車である。レトロ列車での運行ということもあってか車内は活況をみせている。

10分ほどで船越駅へ到着。

駅前には椿が咲く。四月の雪は未だその名残を留めているが程なく消え去って春の独壇場となるだろう。内陸とは異なり大気は雪があろうとも温かい。

駅前は少し寂れた印象。高速道路の開通もあってか45号は程よい交通量。

はじめ海沿いに佇む神社として有名な荒神社へ行こうと思っていたが時間の都合から海と鯨の博物館へ行くことにした。船越公園の方から博物館へ行こうと思う。(博物館は奥に見えるドーム状の建物)

先程の写真の奥に見える堤防の上より山田湾を臨む。どこから見ても穏やかで白波が立っていることは無い。犬の散歩道にも利用される長閑な道である。

船越公園には沼がある。今に干上がってしまいそうでもある。さらなる整備が期待される。

博物館へはこのようなスロープを上がってゆく。

津波からの復興を遂げた博物館へ入場。はじめに3Dの紹介映像を見せられた。入館者は私たちだけで館内には開設映像の無機質なナレーションのみが響き渡る。

ドームにはマッコウクジラの剥製が吊り下げられている。その大きさに圧倒されるばかり。

周回すると展示を全て見られる仕組みとなっている。鯨よりは海洋の環境に関する展示が主だったように思う。

海藻の押し葉。制作が難しいらしい。震災で多くが流されたそうだがこのように紛失を免れたものもある。

マッコウクジラの骨格標本。

身長ほどもあるシーラカンスの魚拓。



漁業に関する展示も豊富で海が身近にある生活というものを実感できる。


かつて山田町は商業捕鯨の基地として栄えたらしくこのマッコウクジラは商業捕鯨末期に捕獲されたもの。数年を掛けて作られたこの標本は町ぐるみのプロジェクトであったらしい。

鯨の大好物、ダイオウイカ。展示を一通り見終わり、列車の時間も近付いていたので駅へ向かう。

人道用の踏切は都市部ではあまり見ないものだ。

カントがつけられた立派な線路からはJRの厚意を感じられる。

梅は満開で辺りは芳しい香りで満たされている。春爛漫の山田町にはゆっくりとした時間が流れ内陸より一足早い春の訪れを長閑に感じることができた。
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