今回の旅は三陸鉄道の新規営業区間を乗車し、山田町、並びに大槌町を探索しようというものである。

6時発の釜石行きの普通列車で向かう。四月の上旬だが透き通るような寒さで沿線にも薄らと田んぼの畦道の日陰になったところなどに雪が残っている。


宮古駅に到着。3時間あまりの乗車であったが特に釜石線区間は沿線風景に見所が多く全くその乗車時間の長さを感じさせない。

時間に余裕があったので駅舎の外へ出てみることにした。リアス線の表示はJR東日本のものと同じものに思える。

こちらが釜石駅舎。銀河ドリームラインの名に恥じない洒落た外見である。ラグビーのワールドカップ開催とあって今夏は非常に賑わうのだろう。

こちらは三陸鉄道の釜石駅舎。経営難を隠すこと無く乗客に見せつける。驚いたことにここでは入鋏や押印を行っていなかった。

新日鐵釜石工場。大島高任以来の製鉄の歴史を歩む。橋野高炉跡が世界遺産に登録されてから観光客は増えたのだろうか。

地下通路はかつての栄華の名残だろうか。ここを労働者が埋め尽くすこともあったのだろう。

こちらは三陸鉄道のホーム。現在はJRのホームと共用している。かつての仮乗降所のような簡易なホームは使っていない。

先頭車は三陸鉄道を象徴するような塗装である。いよいよ三陸鉄道の旅、そして未踏の地である大槌への旅が始まった。

つり革は木製である。南部の鼻曲がり鮭、そしてラグビーボールを象っていると思われる。


釜石を出てすぐの山を越えると両石である。国道45号で訪れる山間の小漁村といった風情を抱いていたが、かつての印象に違わず箱庭のようなこじんまりとしている風光明媚な土地である。

両石駅の駅名標。

両石を出て山を越えると鵜住居。小学校時代に震災関連で訪れた地である。語り部の話を聴き津波の凄惨さを感じたが、駅前の荒涼とした風景を見るといかに津波の威力が絶大であったかが分かるだろう。

鵜住居駅舎は大規模でそれなりの需要を見越しているようだ。

交換もできる駅で、既に対向の列車が止まっていた。停車時間僅かにして未踏の地である大槌へ向かってゆく。

山を越えると大槌の平野部へと入る。大槌も津波が酷かったところで役場の中枢が数多く犠牲になってしまったことなどはよく知られている。鵜住居と同じく海浜地区には賑わいがない。

大槌駅に到着。

ここでは途中下車をして大槌町内を散策する。詳細はこちらに紹介したいのでここでは手短に。

カラフルで見ていて楽しい。JRのようにお金を掛けずとも十分な工夫ができることの証左である。特につり革は面白い。

列車を見送る。

構内踏切の旅の字が旅情を誘う。移ろう雲に丁度太陽が隠れたころで多少の不穏さも含んでいる。

ひょうたん島を象った駅舎。ひょうたん島に関して私は何も知らず映像を見たこともないので僅かばかりの思い入れもない。

駅前広場にはひょうたん島の何らかのキャラクターが立っている。主役だろうか。

城山公園から大槌湾を眺めるとそこには蓬莱島。足下には春を急ぐ花が我先にと競っている。

山麓にある小槌神社。巨大な樅の木があるが杉の木に隠れて見えない。弟が引いたくじは大吉であった。

2時間ばかりの滞在の後陸中山田駅へ向かう。一両編成の車内は混雑している。

車内から眺める小槌川水門。震災前の写真においでもその存在感は抜群で況んや荒野となれ果てた現在をや。

潮風に錆びたトタン屋根は港町のあるべき姿を思い出させてくれる。その古びた姿に安堵を覚えた。

吉里吉里である。鳴き砂が有名と言うことだ。地名はアイヌ語由来で鳴き砂の擬音であるらしい。

車窓からは吉里吉里海岸が臨める。思いの外砂浜は綺麗だ。


吉里吉里から織笠にかけてはこの路線のハイライトと言えるだろう。木立や法面の間隙よりしばしば目に入る海は浅瀬においてトルコ石のごとき白みがかった緑、少し深くなったところでは水平線まで続く紺碧である。そこには写真に収まりきらない空間の広がりや海蝕崖の燦々とした白堊の輝きがある。

浪板海岸の駅名標はうまく撮れなかった。

リアス式海岸は一瞬湖のような印象を持たせる。それは閑かな海面、対岸の稜線に起因するものだがそれが柔らかな開放感に繋がるように思う。

浪板海岸を出て四十八坂と呼ばれる難所を越えると山田である。こちらも小学校時代、震災関連交流で訪れたことがある。あのときは山田北小学校に訪れた。上の写真は船越近辺である。

岩手船越駅。1時間半ほど後に再訪したので深くは取り上げない。

車窓からは鯨と海の博物館が見える。こちらもやがて訪れる。

山田湾はいよいよその碧さを増してその深さは計り知れない。

織笠駅は住宅街のただ中にあり近くには山田中学校や体育館がある。もう山田駅はほど近い。

奥の山々には雪が降り積もりその奥には本州最東端、トドが崎があるのだろう。防波堤の建設が進められている。

陸中山田駅で下車。山田町についても手短に紹介し詳細はこちらに。

陸中山田駅の駅名標。

山田駅に隣接する施設。

山田駅舎は跨線橋も設置される意趣に富んだものである。近くには商業施設であるびはんや飲食店、岩手銀行、コンビニがあり駅を町造りの中核に据えている感じがするものだ。大槌よりも活気があるように思え、訪問者の印象も良くなることだろう。

駅から500メートルほどの所にあるこちらの飲食店で昼食を摂る。

こちらはカキ天丼。大粒の牡蠣に軽やかに纏わり付く衣は牡蠣の風味を損なわない。牡蠣から溢れる汁は甘みすら感じるほど。お椀の中身はワカメと豆腐のお吸い物、小鉢はわかめと人参の和え物であり観光客を対象にしているのかと疑いたくなるほど郷土色豊か。

こちらは山田港から眺めた山田湾。オランダ島を中心に附近には牡蠣や海栗の筏が浮かぶ。風は強かったが波は穏やかである。山田港には漁船が並び漁業を中心とした漁港には活気が漲る。

こちらは龍昌寺。鈴木善幸元総理の菩提寺でもあるらしい。

山田八幡宮には秋祭りの主役となる神輿が収められている。やはり活気があって良いものだと、内陸に住む私などは人間同士の繋がりの深さも含めて憧れてしまうものだ。

山田駅はその真新しさが町に溶け込んでいて無機質な寂しさを感じさせなくて良い。

切符を買ったらなぜか硬券であった。一旦船越まで戻る。

レトロ列車がやってきた。しかし座席数が少ないこの列車は繁忙期の運用には向かないように思えた。

こちらは海と鯨の博物館。かつて捕鯨で栄えた山田の様子や海洋のことを展示、説明している。

マッコウクジラの骨格標本。ただただその大きさに圧倒されるばかり。商業捕鯨の復活は山田に恩恵を与えるのだろうか。

船越駅には椿が咲く。白い雪も相俟って碧梧桐の赤い椿白い椿の句のようだ。

船越駅の3人目の駅ノート記述者となった。

豊間根は山田町内にあるが山田駅からは長い山道を上り詰めた15分ほどの所にある。

払川駅構内である。まっすぐ延びる線路は旅愁を誘うものである。

払川駅の駅名標は撮影に失敗した。払川駅の別名は新しい希望だった気がする。とても雑な命名である。

津軽石駅まで来ると宮古はあと少し。鮭の養殖で有名なところである。

払川駅と共に新設された駅。住宅の中にあり港町と言った風情は消え失せている。

磯鶏駅は宮古駅の一つ手前の駅。閉伊川を渡れば宮古駅はすぐである。

閉伊川を渡るところにはモーターボートが浮かんでいて何やら作業をしている人影。

かつてここを列車が通ることを夢想して道路を歩いたがそこを現在眺めている。

宮古駅に到着。広い構内には三陸鉄道の車両が並ぶ。ここでもJRのホームを使っており、三陸鉄道がJRを追いだした形だ。

跨線橋を渡るとレトロ列車が。山田船越間で乗った車両は釜石で折り返したらしく再びの乗車となった。

山田線は廃線寸前で直通列車も四往復しか無く区間列車も少ないので完全に三陸鉄道に打ち負けている。

帰りは盛岡行きの普通列車で向かう。一両編成の車内は満席に近く盛岡まで乗り通す人が殆どだった。

宮古駅の駅名標。

盛岡に着いたら雨であった。窓に感じる冷気が沿岸のそれとは全く異なり身震いした。
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