交響曲第一番は橋本の壮年の野心で満ち溢れている。第一楽章の冒頭は静謐さに支配される。雅楽を感じさせる旋律や和声も相まってそこは国生みの世界のようだ。神話的という言葉がよく似合う。山田耕筰の明治頌歌のように明確な標題が無いのではっきりとは言えないがきっと皇紀2600年という節目で作曲されたこの曲に神話を重ねることは的外れではないだろう。フルートの断片的な旋律に導かれて徐々に他の楽器が入る。打ち寄せる波のように旋律は抑揚しつつ昂ぶり最初のクライマックスを迎える。それは慎み深い昂揚である。紅葉に所々彩られた秋の村落を俯瞰するかのようだ。ティンパニが全体の表情の起伏を主導する。(これは録音のせいでティンパニばかり聞こえているのかもしれない)昂揚はただ一点の最強奏をもって次第に静謐へと帰結してゆく。この潔さが彼の音楽を粋で日本人らしいものたらしめており美点と言えるがどうにも構成力に欠けるような気がしてならない。。ホルンにより第一の部分に終止符が打たれるとすぐにオーボエによる印象的な主題が奏でられる。チェロとの二重奏が誠に美しい次いでフルート、そしてヴァイオリン。妖艶といった言葉がよく似合う。この部分は来るべき第二部のための冒頭への回帰と言えるだろう。第二の場面はうって変わって中・低弦による比較的リズムのはっきりした動機の上にヴァイオリンやホルンが苦悩を表すような旋律を奏でる場面となる。これも長くは続かずテンポが巻きたてられるように速くなり金管が勇壮な主題を奏する。ホルンのゲシュトップがうまく効いている。和音もなかなか刺激的で聴きどころだ。ヴァイオリンが再び苦悩を表すような旋律を奏でるが突如長調に転じて行進曲が始まる。私も初めてこの曲を聴いたときには大変驚いた。全曲を通して最も印象に残りやすい場面かもしれない。まさに混沌としていてアイヴス的ですらある。(アイヴス的ではあるが行進曲はヨーロッパの行進曲に近い)行進曲は次第に行進の色合いを失って、いつしか莫大なエネルギーを持った音楽となり聴衆を無理やり頂点へと引っ張ってゆく。演奏者もどことなく曲の展開についていけておらず平板になってしまっている感じがするので再演されることを望む。(もちろん日本人の指揮者、オーケストラによる演奏で)疾走感漲る音楽はチェレスタの蠱惑的な音に宥められていつしか曲の冒頭の静謐へと引きもどされている。しかし静寂は長続きせずトロンボーンの導入とともに感情を吐露する場面となる。作曲者の声を聴くような場面である。全体主義へのささやかな反対であるかのようにも聞こえる。実際のところ音楽を政治と絡めて論じることは余りよろしくないことなのかもしれないが作曲年代を考えると様々考察せずにはいられない。再び静かになるが魔法をかけられたかのように急に生命力が漲り冒頭のフルートによる主題をオーケストラ全体で奏でる。やはり橋本らしく強奏ののちはすぐに弱奏となり旋律が弦楽器や木管により流麗に奏でられる。もう一度金管による強奏部が訪れるがすぐに減退し僅かな余韻を響かせつつ次第に夢幻的なチェレスタの音色に全体が飲み込まれひっそりと第一楽章を閉じる。まるで第一楽章は夢だったといわんばかりだ。兎に角第一楽章の最後の部分(高らかに冒頭の主題が回帰するところ)は平和的だ。ある意味大東亜共栄圏という理想と合致する音楽かもしれない。そこにはひたすら共和のみが存在する。現実の諍いは作曲者にとって虚構としか映らなかったのかもしれない。
第二楽章はボレロに似ているといわれる通りた一つの主題が形を変えず何度も登場する。沖縄音階を用いている点もラヴェルがスペイン民謡に影響を受けた点と類似する。しかしボレロとは異なり躍動感に溢れ構成には自由さを感じる。ボレロほどの熱狂的な緊張感はない。曲はファゴットによる諧謔身を帯びた旋律により始まる。その旋律は木管楽器により次々と奏される。次いで弦楽器。旋律は大変美しい。冒頭の場面が終わるとテンポが上がり主題の変奏が形を変えつつこれも執拗に奏され一つの山場を築く。そののち再び冒頭の主題が回帰し次々と様々な楽器によって演奏される。しまいには和楽器も登場し大円団となる。この翳りのない明るさは戦前の日本に特有のものである。芥川也寸志の交響管弦楽のための音楽に似たような勢いも感じさせるが芥川のものは若さゆえの躍動にも感じる。
三楽章はベートーヴェンの皇帝協奏曲さながらの幕開けである。すぐに紀元節の唱歌そのままの主題が登場する。しかし対旋律や和音のつけ方がなんとも美しく素晴らしい。初めてこの曲を聴いたときには紀元節の歌など知らなかったので美しいメロディーを書く人だなと勘違いして感心してしまっていた。(もちろん橋本國彦は素晴らしいメロディーメーカーであるわけだが)ちなみに紀元節の作曲者は井澤修二という方で信州高遠の生まれらしい。橋本が教鞭をとっていた東京音楽学校の初代校長でもあった。変奏は明るくなったり暗くなったりをしながら続いてゆく。基本的に橋本という作曲家は木管楽器の音色を愛していたかのように感じる。ドイツに留学していたというがそのオーケストレーションの軽さは北欧音楽を思わせる。変奏もついに煮詰まってくると交響曲も佳境を迎え幕を閉じる。本当に明るい音楽である。軍国主義的プロパガンダがあるかと思えば紀元節が第三楽章に使われている以外はそういうものはない。紀元節も歌詞を見ると天皇の業績を讃えるものとなっているので軍国主義とはさほど関係がない。やはり彼は本質的には芸術を信じたリベラリストだったのかと思う。